書評

「水の記憶」―水のような、風のような

 高浦銘子さんとは、春浅い、まだ風の冷たい日にはじめてお会いした。その日は結社を超えた女性だけの句会があり、たしか席も隣り合わせだったと思う。
 高浦銘子さんは、1960年生、東京女子大学白塔会にて山口青邨・黒田杏子両師に出合う。1990年ラ・メール俳句賞受賞。「藍生」所属。

  遥かなる月の道なり手をひけば

  急ぐことなし月満ちて月欠けて

  月光を乗せては波のとほざかる

 多くの句集は、作句の年代順に配列されていることが多いが、本書は「月」「火」「花」「風」「光」「雪」「水」「鳥」の8つのテーマに依って編まれている。前掲の3句は、その冒頭の月の章から引いたものである。

  こほりつつ溶けつつ春の水となり(水の章より)

  星合の夜のみづうみの深さかな (〃)

  風鈴の音も売られてゆきにけり (風の章より)

  雪やみて雪の匂ひの風吹けり  (雪の章より)

 水のような、風のような、自然で豊かな感性が、集中にあふれている。

  はつゆきと声にも出して眺めけり(雪の章)

  雪原をよぎる雪あり追ひたしと (〃)

  離れしより父のやさしき冬帽子 (〃)

  木の実落つ父母あることをかなしとも(光の章)

 そしてもう一つ、この句集をとおして感じたことは「かなしみ」という言葉であった。「実ありて悲しびをそふる」――そんな言葉を思い起こしたりもした。

 母として、子へ向ける眼差しもまた静かである。

  母と子に固き木の実の降りそめて

  子を抱けば子の匂ひしてみどりの夜

  椎匂ふ夜の玩具のしづけさに

  空に月地にははなびら子の眠り

 第一句集『水を聴く』、第二句集『水の記憶』とつづき、たゆたう「水」がどのように変容し深化していくのか、これからの句境の深まりに注目していたい。

  海鳴つて山鳴つて冬支度かな

  ゆふがほの花のかたちとなりゆけり

  尺蠖にゆきたいところあるらしく

  春満月みどりご高く掲げけり

  雪女郎あらはれさうな戸口かな

  からつぽの冬空に鳥放ちけり

    (「炎環」1999年12月号掲載)

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「跣足」―削ぎ落とされた美しさ

  4月号に続き、今月も俳人協会新人賞受賞作をご紹介したい。作者の藤本美和子さんは、昭和25年和歌山県生まれ。昭和60年に綾部仁喜氏に師事。平成9年度に「泉賞」を受賞、現在「泉」同人。「『句集出版』は、私にとってのまさに40代最後の駆け込み出産さながらであった」と、みずから語るように、まさに49歳での新人賞受賞となった。(新人賞は50歳まで)
 藤本さんの句集には、削ぎ落とされた美しさがある、と思う。加えて観察力が非常に鋭い。

  傾いてゐるところより春野かな

  餅花のかろくなりゆく高さかな

  映りたるものの吹かれて鴨の水

  まくなぎの群はひつぱりあひにけり

 修辞法――例えば擬態語の使い方なども巧みである。

  さやさやと並び直せる燕の子

  はればれと佐渡の暮れゆく跣足かな

  たつぷりと海を見てきし初暦

  山風のひやひやとせる夜干梅

 そして、私がこの句集をとくに好むのは、作者が五感をフルに働かせて句を作っているところである。たとえば、

  踝に水のあつまる晩夏かな

  桃畑の土柔らかく坐りけり

などに見られる皮膚感覚。

  春潮の匂へる筵巻かれけり

  水使ふ音のしてゐる遅櫻

のような、かすかな音や匂いを聞き分ける繊細な感覚。また、

  新しき色の加はる金魚玉

  夕潮の満ちてきたりししやぼん玉

  青柚子の数へなほされては増えて

  みちのくのいろとなりゆく吊し柿

などのような豊かな色彩感覚も、この句集がもつ大きな魅力の一つと思う。作者は絵も描いているのであろうか、「鳥渡る寒色系の絵の具棚」「パレットに緑蔭の色置かれけり」等の句も散見されるのである。

 句柄は、明るく、はればれとしている。まるで作者の人柄をそのまま映し出しているかのように。

  大空の明るく暮るるお年玉

  羽子板を抱へなほせる潮かな

  彗星のように現れた新人賞作家に心からエールをおくるとともに、これからの作品を楽しみに待ちたい。

   (「炎環」2000年5月号掲載)

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『音、沈黙と測りあえるほどに』武満徹

 その頃私は、ほぼ毎週のようにコンサートへ出掛けていた。華やかなクラシックのコンサートが多かったが、たとえば築地本願寺・国立劇場・セゾン劇場などで開かれる、実験的な現代音楽のコンサートにもよく出掛けた。そして、そうした現代音楽のコンサート会場には驚くほど小柄な、異星人のような風貌の武満徹を会場でいた。まだ大学生の頃、俳句を始めるずっと前のことである。
 武満徹は、96年に亡くなったが、琵琶や尺八を交響曲に取り入れた代表作「ノベンバー・ステップス」などで知られる世界的な現代作曲家である。また、「砂の女」(勅使河原宏監督)「乱」(黒澤明監督)など、90本以上の映画音楽を手掛けている。本書はその武満の1960から70年にかけてのエッセイを纏めたものであり、初版は1971年となっている。
 この本は私の愛読書の一つであるが、驚くことは、初版から30年以上経った今読んでも、まったく古さを感じないということである。読むたび新たな発見がある。時折思い出したように繙いているが、俳句に向き合うようになった今、俳句の問題として考えるべき箇所にずいぶん出合う。
 「私は音楽と自然とのかかわりについて、いつも考えているが、それは自然の風景を描写するということではない。私は時として人間のいない自然風景に深くうたれるし、それが音楽をする契機ともなる。しかし、みみっちくうす汚れた人間の生活というものを忘れることはできない。私は自然と人間を相対するものとしては考えられない。私は生きることに自然な自然さというものをとうとびたい。それを<自然>とよびたい。これは奥の細道に遁れるような行為とは大きく矛盾するのである。私が創るうえで、自然な行為というのは現実というの交渉ということでしかない。芸術は現実との沸騰的な交渉ののちにうまれるものだ。」
 武満は、作曲するうえにおいても、「音」だけではなく、自然について、言葉について、物を見ることについて、表現するということについて、つねに考えている。
 「図式的なおきてにくみしかれてしまった音楽のちゃちな法則から<音>をときはなって、呼吸のかようようなほんとうの運動を<音>にもたせたい。音楽の本来あるべき姿は、現実のように観念的な内部表白だけにとどまるものではなく、自然との深いかかわりによって優美に、時には残酷になされるのだと思う。」
 武満は、音そのものが音を超えて構築する宇宙をみる。それは言葉から言葉以上の世界がひろがる俳句の宇宙と符号する。
 「私は音を組立て構築するという仕事にはさして興味をもたない。私は余分を削って確かな一つの音に到りたいと思う。」―武満 徹

   (俳人読書室 「俳句研究」2001年8月号)

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「雲は王冠」―光と影と蝶と

 私の記憶を溯ってみて、仙田洋子という作家を明確に意識したのは、まだ私が俳句の実作をはじめる前、東京四季出版企画のアンソロジー『現代俳句の新鋭(全4巻)』でその作品を読んだときであった。当時24歳の仙田さんの、若くて輝きに満ちた作品群に圧倒されたことを、今でも鮮明に覚えている。

  雪はげし生まるる言葉宙に消え

  寒月や路上ピエロの白化粧

  狂ひたるピアノ・エチュード寒茜

  淋しめば毛皮のきつねコンと鳴く

  つんとせし乳房を抱く月朧

  好きならば裸になりし時に言へ

 当時の仙田さんはソニー(株)の海外営業本部にて幾多の海外出張をこなし、まさしくバリバリのキャリア・ウーマンといった印象であった。著者紹介ひとつにしても、非常に強い個性が感じられた。
 その後、雑誌の誌上句会でご一緒する機会があり、そのときの出席メンバーで構成された句会「雛の会」で句座をともにすることとなり、その会が10周年を迎えた。
 その10年間の句会を通して、あるいは俳句以外のプライベートなおつきあいを通して思うことは、仙田さんは(ご自分でも文章で書いているように)、徹底したエピキュリアンであるということだ。けっして現実から逃げることなく、「今、この時」を楽しむ。そのための努力は惜しまない。いや、努力を必要としないほど、天賦の才に恵まれているといったほうが正しいのかもしれない。
 ところで私自身、仙田さんの俳句は、大きく分けて3つの時期に分けられるように思っている。つまり、俳句や短歌に熱中し、石原八束先生選の受験雑誌に投稿していた高校時代、それに続く大学時代、海外を駈けめぐっていた独身時代が第1期。結婚・退職、1年間のアメリカ生活とその後が第2期。そして、はじめての子供の誕生、そのご子息を詠まれた作品群が第3期である。
 本書『雲の王冠』は、その第1期の後半から、第2期を収録している。本書の目次にのっとって言えば、「間欠泉」「虹の音階」「真白き音符」「イブ」の前半までが第1期。「イブ」後半から「詩の影」「翼代はりに」「雲は王冠」までが第2期の作品と考えるのである。

  寒ざくら涙の粒の揃ひけり

  雪うさぎ恋生れし日のよみがへる

  歓びの風鯵刺を欲しいまま

  ルカ伝を読む山小屋の雪解かな

  渡り鳥われに小さき机あり

  くしやみして星のひとつを連れかへる

  柚子匂ふ顔につめたき夜空かな

  火の鳥と思ふ白鳥に夕焼寒

 また、これは全編を通して言えることだが、仙田さんの作品には、いくつかのキー・ワードがある。
 その一つに蝶。蝶のイメージは全編を通して現れては消える。

  夏蝶は砂漠の影に入らず舞ふ

  雪渓に蝶くちづけてゐたりけり

  蝶炎えて赤き砂漠に落ちにけり

  ふかぶかと蝶吸はれゆく空の藍

  白き蝶渚の光つたひくる

  の譜のちりぢりに秋の蝶

 第2期は、結婚それにつづくアメリカ滞在。海外での作品がその中心を占める。『雲は王冠』のなかでももっとも密度の濃い時間と作品群である。

  銀漢に抱かるるごとし婚約す

  雪煙る森にしづかに手をつなぐ

  空青くなりてふたりの樹氷林

  セコイアの森祝福の春の雪

  灼かれゐる大絶壁に巨眼空く

  天炎ゆる神のくぐりし岩の門

  灼けしづむ天に涙のとどかざり

 ソニー勤務時代に数多くの海外出張をこなした仙田さんにとって、

  黒人の唇に音楽雲の峰

など、海外詠はこれまでも多かったが、実際にその地に暮らすことによって、句はさらなる深まりを増す。そのことについては、「俳句あるふぁ」のなかで、先の<黒人の唇に音楽雲の峰>の句を例に挙げ、仙田さん自身がつぎのように述べている。

 「…だが、アメリカ人とつきあい、大学に通い、会社での話を聞き、マスコミの報道を吸収し、知らず知らずのうちに多人種多文化社会アメリカの抱える複雑な悩みを吸い込みながら過ごした私は、もうこのような句は詠めない。アメリカという大景は、自然だけのことではない。いや、歴史や文化がからめばそれだけ大景は複雑に、感性や浅薄な理解だけではとらえきれないものとなっていく。海外俳句の落とし穴に私もはまっていたのだと振り返って思う。…」

 また、独身時代の開放的な恋の句が、夫恋の深い思いへと変わっていくのも、この時期の作品の見逃せない点だろう。

  大き手の霜焼の指愛しめり

  夫行つてしまひぬ冬の月尖る

  夏星のやう夫恋の火を胸に

  夫焚いてくれし柚子湯を惜しみなく

  暖炉焚く夫と降誕祭の朝

  夫おもひゐるあかるさや花曇

 仙田さんの俳句の印象を色で表せば、赤あるいはオレンヂ。または蒼。パステル調の淡い色合いではなく、透明度のある強い色である。コスモスよりも深紅の薔薇。月よりも太陽…。

  ヴィーナスの唇よりも濃き罌粟の色

  雲海に胸の火投じたきことも

  炎天に乾びきつたる怒りあり

  あかあかと唇塗る梅に負けぬやう

  秋蝶やサフラン色の便り書く

 また、さきに仙田さんのキー・ワードとして「蝶」をあげたが、その他にも仙田さんの句を読み解くキー・ワードの一つが「踊る」イメージである。

  遥かまでステップ黄落期

  霜の花タンゴを踏んで踊らうか

  踏み鳴らす虹の音階誕生日

  影曳いてに蝶と踊りけり

 ラテン系のリズムが鳴り響いてくる。

 また、海外詠については先に触れたが、ソニー勤務の時代の海外での作品群も、外すことのできない重要なテーマの一つである。

  戦火ボスニアいつそ海市の都なれ

  銀河烟りアウシュビッツは眠りをり

  初夢をわすれ戦火をわすれざる

  銃殺の壁に捨てあるダリアかな

 仙田さんは絵画への造詣も深く、絵画にまつわる句も多い。

  蒼穹に虹熟睡のダリの髭

  光の蝶スーラの道をよぎりたる

  ゴッホの渦かさねて炎ゆる黄葉かな

  ブリューゲルの雪景色あり喪服着る

  オキーフの広野に降りし夜露かな

 さらに仙田さんの句を読んでいると、「神」という言葉も集中から印象的に響いてくる。

  神々の息のきらめく瀑布かな

  天炎ゆる神のくぐりし岩の門

  神眠る蒼き氷河に雲の峰

  白夜なる氷河に神の爪の跡

 そして、これはタイトルともなった、

  雲は王冠詩をたづねゆく夏の空

が代表となるが、全編を通して、「詩」という言葉が現れるもの象徴的である。

  詩神棲む枯野けぶりてゐたりけり

  わが詩の届かぬ銀河振り仰ぐ

  間欠泉のごときわが詩粉雪降る

  悲しみを詩に枯野をまつすぐに

  逃水や明日には明日の詩がある

 蝶、詩、神、踊る、光、影…これらの言葉を繋ぎあわせると、仙田さんの句の輪郭がくっきりと浮かび上がってくるのである。

  しやぼん吹く百年たてば死ぬる子と

  百年は生きよみどりご春の月

 さて、本書『雲の王冠』には、すでに総合誌等で発表されている「吾子俳句」は収録されていない。このテーマは、次なる句集の重要なテーマとなることは間違いない。仙田洋子作品に新たに「子」というテーマが加わり、さらにどんな深まりと変化を見せてゆくのか、友人のひとりとして、一人の読者として、次なる句集を心から楽しみにしている。
 最後に触れることのできなかった感銘句を掲げて本稿を終えたい。

  水澄めりほろびぬ恋を胸に抱く

  母眠るさくらの光吸ひながら

  かなしみも冬の紅葉もあつめ焚く

  白鳥になりたきひとと悴めり

  冬銀河かくもしづかに子の宿る 

   (俳誌「秋」掲載)

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「一碧」―純潔な詩的意志の表れ

 先日、中岡さんに電話をした。中岡さんに電話をするのは2年ぶりである。以前黒田杏子氏主催の「江戸百景」の吟行会に、関西から毎月のように見えていた頃は、時々はお目にかかる機会もあり、吟行をご一緒させていただくこともあったが、ここ2年ほどは、総合誌などに発表される作品や文章を通して、その活躍ぶりを知るのみであった。
 その2年のあいだ、中岡さんは俳句のうえでは大きな仕事を一つひとつ成し遂げられていた。まずは評論集『高浜虚子論』を上梓、第13回俳人協会評論新人賞を受賞する。つづいて句集『水取』を刊行。これは、「東大寺二月堂修二会」に10年間通いつづけた作者が、その聴聞を1冊に纏めた注目の句集である。

  南無帰命頂礼椿ひらきけり(悔過作法・上七日)

  修二会の燈いくたび油つがれけむ

  水取の笙の遠音となりて消ゆ

 中岡毅雄さんは昭和38年生まれ。「藍生」「椰子」に所属。昭和58年、大学生のときに「青」に入会。「俳句スポーツ説」を唱える師・波多野爽波のもとで徹底的に写生を学ぶ。
 多作多捨。この頃の「青」には田中裕明、岸本尚毅ら現在も活躍中の優秀な若手作家がいる。
 本書『一碧』は、『浮巣』『水取』につづく第三句集。平成元年から昨年迄の約10年にわたる作品のうち、前掲の修二会以外作品を纏めたものである。
 中岡さんは必ず現場に臨んで俳句をつくる。友岡子郷氏は、「ものの実体から離れた想念のたぐいに与せぬ、純潔な詩的意志の表れにほかならない。」と帯文の中で述べ、その姿勢を高く評価している。

  津軽まで海平らなりきりぎりす(東北)

  嘶きに秋の白波たゞはるか(東北)

  夕空を鋭く鶴の流れけり(出水)

  波少し入れて濯ぎぬ浅蜊籠(犬吠崎)

  しづみかゝりて のとまりけり(湖北)

 中岡さんはロマンチストである。加えて小さなものに対する眼差しがあたたかい。

  よりそへば雪の匂ひのかぎりなし

  雪の日のそれはちひさなラシャ鋏

 先の電話で、最近俳句のつくり方に変化の兆しが見えたことを語ってくれた中岡さん、その心境の変化が作品にどのように反映してゆくのだろうか。

  月山のこゝにも草を刈りしあと

   (「炎環」1999年6月号掲載)

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「綾子の手」―細見綾子へ捧げる鎮魂曲

  塩田に百日筋目つけ通し 欣一

  塩田夫日焼け極まり青ざめぬ

 澤木欣一といえば、まずこの「塩田」の作品を思い浮かべる人が多いだろう。昭和30年「俳句」10月号に「能登塩田」30句を発表、翌年句集『塩田』を刊行。西東三鬼が「澤木欣一は『能登塩田』によって大爆発した。…次代の『正統派』はこの人が継ぐであろう」と激賞、社会性俳句の中心的存在となった澤木の俳壇的地位が確立した作品群である。
 澤木欣一は大正8年富山市生まれ。四高・東大国文科卒業。昭和14年四高一年のときに俳句を始め「馬酔木」「鶴」に投句。翌15年「寒雷」が創刊されるやさっそくこれに投句、東大時代は金子兜太・安東次男らと楸邨のもとで学ぶ。昭和21年「風」創刊。翌22年細見綾子と結婚。

  群羊の一頭として初日受く

  夕月夜みやらびの歯の波寄する

 さて本句集『綾子の手』は澤木の第十二句集であるが、前年6月にも澤木は第十一句集『交響』を上梓している。そしてちょうどその6月頃には、綾子は重態となり緊急入院をしている。

  急変の妻へ麦秋ひた走り

 (綾子、日高町旭ヶ丘病院に入る)

  梅雨寒や吸ふ吐くの息音立てて

  緑雨なか見事に生命ありにけり

 (綾子、重態一ヶ月を経る)

 さて「俳句において場・現場を重んじる」という作者であるが、本書にも旅の句、ことに加賀を詠んだ句は多い。「20代から30代にかけて金沢で暮らしたことは、私にとってこの上ない幸せであった」と語る澤木だが、50年以上経った今も、心のなかには金沢の地が離れずにあるのだろう。

  旅人の浅き眠りや鰤起し

  能登の海より赤めばる黒めばる

  古九谷の牡丹むらさき緑雨かな

  炎天の加賀の氷室を覗きけり

 平成9年9月、綾子は亡くなる。

  泥の好きな燕見送る白露かな(9月6日、綾子逝く)

  秩父なる大夕焼に逝きにけり

  初炬燵開く亡き妻在るごとく

  小春日や箪笥の底の千人針

  綾子の手ゆびしなやかに猫柳

 前句集が「交響」であるならば、本書は綾子へ捧げる鎮魂曲なのである。「風」は今年創刊55周年をむかえる。

  燕つばめ泥の好きなる燕かな 綾子

   (「炎環」2000年1月号掲載)

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「歴草」―時間と空間を超えて

 中原道夫氏は非常に多彩な方である。広告代理店のアートディレクターから俳句に専業。俳句の仕事を精力的にこなすかたわら、あまたの装幀を手掛け、古美術を蒐集、みすから書画を描き個展もひらく……。

  花筏黄泉に客引く舟だまり

 中原道夫氏は1951年新潟生まれ。多摩美術大学卒業。82年に「沖」に投句を始め、84年に「沖」新人賞を受賞。90年に第一句集『蕩兒』により第13回俳人協会新人賞受賞。九四年には第二句集『顱頂』にて第33回俳人協会賞受賞。現在「銀化」主宰。本句集は『アルデンテ』『銀化』につづく第五句集となる。

  縄跳の縄は弧となり世を離る

  まぼろしは真葛が原を出て三日

  六道の辻にて葛湯商はむ

 『歴草』を繙いて感じることは、時間や空間を軽々と超えて遊ぶ、摩訶不思議な風景の存在である。作者のこころは現世と来世をさえ自由に往き来する。

  前生も霜夜の猫を抱きすくめ

  初旅の背もたれ過去に倒したる

  前(さき)の世は笛でありしよ寒八ツ目

  三途まで繋がつてゐる青き踏む

 「言葉は面白い」と語る作者は言葉そのものとも戯れる。

  水にゝ打ちて氷に身を窶す

  誰にでも蹤いてゆくから月といふ

 そうして氏のもつ不思議の世界は、俳諧の世界と繋がってゆくのである。

  なりはひを何處に捨てよか春日桶

  いきつけの處へ春の行くといふ

  皮と餡べつべつに春惜しみけり

 さて、氏は料理の腕前もプロ級であり、『食意地ーぬ日記』という著書をもつ。

  狐憑白子を吸ふに唇尖る

  春の闇したたり醤濃くなれる

  縁側はたそかれやすき干鰈

 TVに、雑誌に、新聞にとまさしく八面六臂の活躍をする作者が、次にはどんな句を発表されるのか、新たなる一句が楽しみである。

  とじまりは月うつくしといひしのち

  みまくりをいまあらたまのみづのおと

  秋の草歴草を岐くるべく長ず

   (「炎環」2000年4月号掲載)

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「谷間の家具」―邁進する「今」

 今井聖さんは、私の俳句との出会いにおいて、もっとも影響の受けた俳句作家の一人である。14年前、寒太先生に誘われて初めてうかがった「Mumon」(「炎環」の前身)の句会ではじめて今井さんの句と出合った。

  のら犬をかくまふ縁の下朧

 これは、他の文章の中でも何度か書いたことがあるが、俳句とは綺麗なもの・美しいものを詠むものと信じ込んでいた私にとっては、「のら犬」を句にしてしまうこと、またその句にどんどん点が入っていく光景に、一種のカルチャー・ショックともいうべき強い衝撃を覚えたのだ。本書には、この「のら犬」の句をふくめて、1984年から2000年までの作品551句が収録されている。

  春の駅頭鰐淵氏蟻塚氏

  ジープからコリー飛び出す桃の花

  菜の花の斜面を潜水服のまま

 今井聖氏は1950年生まれ。14歳頃より作句。山口誓子に憧れ作句を続けていたが、誓子イズムの出口を楸邨の混沌に求め、楸邨に師事。また、1990年頃よりシナリオを馬場当氏に師事。山内久氏との共同脚本で映画「エイジアン・ブルー」のシナリオも手掛けている。句集名『谷間の家具』はジョルジュ・デ・キリコの絵のタイトルであり、シュルレアリスムの先駆にして古典的遠近法から逸脱することのなかったこの画家にずっと魅せられていたからという。96年に「街」を創刊、主宰。
 今井さんの作品はどれも印象鮮烈で、映画のワン・シーンのように景がはっきり見えてくる。

  タクト一閃寒林となるオーケストラ

  東京の腸に月高速路

  「イスラエル」冬帽売に国問へば

 そして、硬質で現代的な句の一方、ヒューマンな句も氏の持つもう一つの魅力である。

  魚籠の中しづかになりぬ月見草

  跳ね出でし鯉木犀の花まみれ

  雪眼して一日一個卵産む

 邁進する「今」という機関車に乗る作者(「街」宣言より)がさらにどんな作品や論を展開してゆくのか、これからも目を離さずにいたいと思うのである。

  雪が降りさうでマーラーの5番選ぶ

  蟻が過ぎ猫の子が過ぎ楸邨過ぐ

  雪の夜やアジトのごとき君の胸   

 (「炎環」1999年11月号掲載)

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「無方」――アフリカ・ナミブ砂漠

 旅に出たいと思う。日常からほんのすこし抜け出して、異国の大地からエネルギーを貰いたいと思う。第34回蛇笏賞受賞句集『無方』は、アフリカ・ナミブ砂漠での連作から始まる。

   太陽は四季咲の花砂の国

   無方無時無距離砂漠の夜が明けて

   砂漠の木自らの影省略す

   自らを墓標となせり砂漠の木

 津田清子氏は大正9年奈良生まれ。20代で前川佐美雄に短歌を学ぶが、のちに橋本多佳子の七曜句会に出席、多佳子の美しさと俳句表現の直截さに魅かれ師事。「天狼」遠星集にも投句、若くして頭角をあらわす。
 『無方』は『七重』以降ほぼ10年間の作品を纏めた句集であるが、この『七重』あたりから津田氏の句境に変化が見られるとする見方も多い。それは、「師系は大事にしても師風に盲従しなかった」(飯田龍太氏評)津田氏が、「ある時期から、それまでの右に山口誓子、左に橋本多佳子という縛りがとけて、自在の句境を見せはじめた」(宇多喜代子氏評)ということなのであろうか。

   あめつちのいのちさみどり薺粥

   砂山に遊ぶ三日月ほどの恋

   枇杷五つ盛られて最後まで五つ

ところで前掲の砂漠の句は、ほとんどが無季俳句である。有季定型を基本とする「天狼」で学んだ津田氏であるが、この『無方』の無季俳句については次のように語る。
「無季の俳句を作ろうとか有季の俳句を作ろうとか、そうじゃなくて、俳句のほうが先にあるんですよ。季語よりも。俳句のなかに季語以上の哲学があったら、それを無理におさえつけてまで季語を入れなくてもいいと思う」
同感である。ただしこの場合、「季語以上の哲学」というところがポイントとなるが。

  はじめに神砂漠を創り私す

  髑髏磨く砂漠の月日かな

 さて、蛇笏賞受賞句集『無方』は、新聞・雑誌に数多く取り上げられ話題となっているが、坪内稔典氏は「俳句」6月号の現代俳句月評で、その論調に一石投じている。そのタイトルも「えっ、津田清子の砂漠の句がよいって?」。

 句も句集も、読者が千人いれば感じるところも千通り。肝要なのは、ひとの評価を鵜呑みにせずに自分の目で確かめること、と思う。

   

   (「炎環」2000年月号掲載)

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「葉風夕風」―深は新なり

 句集を開くと、一陣の風がわたってくるような気がした。葉風は草木の葉を吹き動かす風。あとがきによると、句集名『葉風夕風』は、ある日ふと、自らの心を和ませるかのように思い浮かんだことば、という。

 友岡子郷氏は1934年神戸市生まれ。学生時代より作句、「ホトトギス」「青」等を経て、飯田龍太主宰の「雲母」に所属。現在「椰子」代表、「柚」「白露」同人。第1回雲母選賞、第25回現代俳句協会賞受賞。本句集は『翌』(平8)以降387句を収録する氏の第7句集である。

  春祭湖舟に笹を立て交し

  みづうみの夕映に蕗洗ひをり

  冬の日のあをむところに針魚干す

  いづこにも船の影なき飾り臼

  そこここに白波の総返り花

 作者自身、「(『翌』以降)句作の機会をふやすように努めた」と語っているが、これらの句もそんな「俳句をつくる旅」から生まれたのだろうか。しかしながら、『葉風夕風』を読みすすんでいくと、もはや「俳句の旅」などということではなく、人生そのものが旅であるということを、氏の作品をとおして再認識させられるのである。

  きのふより雨の川留め手毬唄

  布団たたみをへて清流ひびきけり

  花杏十とせ汲まざる家井あり

  泳がせて濯ぐ産着や赤のまま

 「葉風夕風」の世界を色彩にたとえるなら、淡いモノ・トーン。その中に存在する純白。

  菜を洗ふ間も雪山は雪加ふ

  ひとつづつ水輪寄せあひ雪の鴨

  雪の日向にたたみ置く諸子網

  まつさらの雪へ湖舟を揚げむとす

 淡い色彩に点ずる緋色も美しい。

  緋桃咲く恋風もそのあたりより

  火にくべてゐるは下絵か夕ざくら

 「深は新なり」――そんな言葉が過ぎった。

 なお、昨年末の総合誌や年鑑において、多くの方が『葉風夕風』を今年の句集ベスト1あるいはベスト5に推していたことを付記したい。

  雁来紅あすは風荒れかもしれず

  一・一七忌蝋涙は地に凝り

  朝の舟梨のはなびらのせゆきぬ

   (「炎環」2000年2月号掲載)

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