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「ゆく船」―ことばの常識を越えて

 雨上がりの午後、グランドピアノの譜面台に『ゆく船』を広げてみた。こんなシチュエーションで句集を読むのも面白そうな気がしたし、なによりも、章扉に挿入されているジャズの自筆譜を、実際にピアノで弾いてみたかったのである。
 ATHUSHI IKEDAのサインがあるこの曲は、非常に洗練された都会的な音がする。その響きのなかで句集を読んでいると、俳句に内在する不思議なリズムと曲が共振して、えもいわれぬ世界を構築するように感じられるのである。

  触れて銅鑼の音を鎮める雪もよい

 池田澄子氏は1936年生まれ。たまたま目にした阿部完市の俳句に驚き、俳句に突然興味を覚えたのがきっかけという。1975年「群島」に入会。83年頃より三橋敏雄に私淑、のち師事。本書『ゆく船』は『空の庭』『いつしか人に生まれて』につづく第三句集である。

  朧月あのーっと連れが立ち止まる

  あれはきっと芽の萍ね雨景色

  遠くの船につい手をふって青水無月

 池田澄子氏の俳句は口語文体が基本となっている。文語文体にみえる句もあるが、発想の基本は口語文体である。口語文体は、ともすると切れがなくなり饒舌になる危険性があるが、池田氏の俳句には全くそれが感じられない。何故なのか。おそらくそれは、氏が言葉に対して非常に厳しいスタンスをもっているからだろう。

  冬の虹なんのはなしをしていたっけ

  月・雪・花そしてときどき焼野が原

  さむいさむいと夜が好き雪が好き

  鳥ぐもり近道して分からなくなり

  豆の莢からぽろぽろっと生まれたし

 池田澄子氏は言葉の常識、俳句の常識を軽々と越えていく。

  銀漢に尻尾振りたくなりぬ無し

  花御堂みんな帰ってしまいけり

  初恋のあとの永生き春満月

  月の萩月のわたくし相冷えて

  満開の桜や干してあるような

  啓蟄や沖の沖には夜の沖

  同室のががんぼよまだ眠れぬか

 デリケートなこころで綴られる氏の俳句が、さらなる世界をどのように展げてゆくのか、早くも次の句集が待ち遠しい。

  永眠のまえの永住あまのがわ

  仮の世を仮に出てゆく雨合羽

    (「炎環」1999年9月号掲載)

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