« 定住漂泊としての都市―都会を詠むポイント | トップページ | 水仙伝説 »

電脳俳句

 2002年になった。昨年新しく始めたことの一つに、個人のホームページを立ち上げたことがある。とりたてて自分の主張をしたいというわけではなかったが、あるきっかけがあって、急に実現の運びとなった。ページの構成は、代表句やプロフィール、文章のほかに、読者参加のできる「リレー俳句」があり、評判がいい。
 「リレー俳句」とは、リレーでバトンを受け取るようにして、俳句を繋げていくもの。一つの句の中の言葉を自由に受け継ぎ、つぎつぎと句を繋げていく。このネット上で繰り広げられるリアル・タイムの掛け合いが楽しい。
 こうしたインターネットの俳句や短歌は、活字メディアとは別のところで、ずいぶん広がっているように思う。ニフティ俳句フォーラムや短歌フォーラムといったような、インターネットのプロバイダが主導するネット句会や歌会も多い。そして、このようなネット上の俳句や短歌では、ことさら結社に属さずネットだけで句や歌を楽しむ人が多いと聞く。
 インターネット句会の利点は、地理的・時間的に句座をともにすることの不可能な人たちと句座を楽しめること、また、先に述べた「リレー俳句」のような、時間とともに変容していくページでは、瞬間瞬間のスリルを互いに楽しめることであろう。実際に今、私のページに頻繁にアクセスしてくれるのは、京都・大阪・神戸・松山・熊本などの方であるが、まったく違和感なく、地理的な隔たりを越えて、毎日のように一緒に句をつくり、批評しあうことができるのである。
 しかしながら、どんなにインターネットが発達してデジタルな世界が発達しても、「ものを書く」ということは、つくづくアナログな世界なのだなあ、と思う。無理もない。そもそも人間の感情そのものがアナログなのであり、俳句も短歌もそうした心の中から生まれるものだから。

   (信濃毎日新聞2002年1月3日朝刊掲載)

|

« 定住漂泊としての都市―都会を詠むポイント | トップページ | 水仙伝説 »

エッセイ」カテゴリの記事