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朗読する歌人たち

 ここのところ、俳句・短歌における朗読ということについて考えている。短歌は「朗読する歌人たちの掲示板」などのサイトもあり、朗読も、俳句に較べてずいぶん盛んなようである。
 先日、横浜であった「岡井隆の朗読会・朗読する歌人たち」へ行ってきた。4年前に歌人の岡井隆氏が開いたもので、12回目を数える。毎回テーマを決め、ゲストを招いているこの朗読会、最初は参加者も少なかったが、回を追うごとに増えているという。
 今回の出演者は、岡井隆、石井辰彦、飯田有子、そして昨年12月まで当欄を担当した穂村弘の各氏。テーマは「恋」。前半はおのおのが選んだ東西の恋の詩を朗読、後半はこの会のために書き下ろした作品を朗読する構成になっている。
 各新作は、一般的な「恋」のイメージとは異なる「ひねり」があった。たとえば、「最近樋口一葉にはまっている」という岡井氏の、「樋口一葉、ウサマ・ビン・ラディンに会ひにゆく」というタイトルの連作。「明智小五郎と怪人二十面相は、じつは濃密な関係にあったのではないか」という穂村氏の、「明智小五郎と怪人二十面相の恋」等々。
 ところで、活字・電子メディア主流の今、なぜ「朗読」なのか。伊藤比呂美の詩を今回朗読した飯田有子さんは、「声に出すとうっとりする」という。
 詩と朗読は、いうなれば作曲家と演奏家の関係。どんなに素晴らしい曲でも、演奏家が作曲家の意図を汲みとり表現できなければ台無しになってしまうし、逆に演奏家が楽譜の「行間」を読みとり、楽曲にいのちを吹き込むことによって、作品は人為を越え、無限の広がりをもって響いてくるのである。
 また、朗読は読み手と聴き手のナマの関係であるから、読み手の技量(レベル)に加えて、聴き手のレベルの問題もある。
 3月には佐久市で「朗読火山・俳」があり、盛況であったと聞いている。新しい時代の「朗読」が、今後どのような形で広がり根づいていくのか興味深い。

   (信濃毎日新聞2002年4月25日朝刊掲載)

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