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母の日

 今度の日曜日は、一年中で花屋さんがもっとも忙しい母の日である。
 母の日にまつわる由来は諸説さまざまあるようで、その起源は、ギリシア神話の中の神々の母・ルアーを讃える春祭や、1600年代、イギリスで祝われていた「母なる日曜日」(Mothering Sunday)まで遡る。
 しかし、現在日本で一般的に行われている「母の日」は、1908年アメリカのアンナ=ジャーヴィスさんによって創設されたといわれている。
 病弱な母を亡くしたジャーヴィスさんが、母の追憶を蘇らせ、その愛情を讃えるべく、母の命日にちなんだ5月に、一抱えの白いカーネーションを礼拝に持参し、みんなに分けたのが始まりであるという。その後、この話が反響を呼び、1914年、当時のウィルソン大統領によって、5月の第2日曜日が「母の日」として定められたのである。
 日本でも、大正時代から教会の礼拝などで母を讃える催しが行われていたが、戦後、アメリカに倣って5月の第2日曜日が「母の日」となった。
 ところで、俳句において「母」はどのように詠まれているのだろう。

  野を焼いて帰れば燈下母や指し 高濱虚子

 虚子が詠んだ「母」の句である。偉大なる虚子のお母さんとは、どのような方だったのだろうか。

  夏の山国母いてわれを与太とゆう 金子兜太

 兜太らしいおおらかな句。母親にとっては、子供はいつまでも子供なのである。
 野澤節子には母を詠んだ句が多い。14歳のときにセキツイカリエスを患い闘病生活を続けていた節子にとって、ことさら母との絆は深かったのだろう。

  寒卵わが晩年も母が欲し 野澤節子

  蜩や母ありてこそ帰りくる 同

 母への深い思いが、時代を超えて句の中に生きている。

   (信濃毎日新聞2002年5月9日朝刊掲載)

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