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「雲は王冠」―光と影と蝶と

 私の記憶を溯ってみて、仙田洋子という作家を明確に意識したのは、まだ私が俳句の実作をはじめる前、東京四季出版企画のアンソロジー『現代俳句の新鋭(全4巻)』でその作品を読んだときであった。当時24歳の仙田さんの、若くて輝きに満ちた作品群に圧倒されたことを、今でも鮮明に覚えている。

  雪はげし生まるる言葉宙に消え

  寒月や路上ピエロの白化粧

  狂ひたるピアノ・エチュード寒茜

  淋しめば毛皮のきつねコンと鳴く

  つんとせし乳房を抱く月朧

  好きならば裸になりし時に言へ

 当時の仙田さんはソニー(株)の海外営業本部にて幾多の海外出張をこなし、まさしくバリバリのキャリア・ウーマンといった印象であった。著者紹介ひとつにしても、非常に強い個性が感じられた。
 その後、雑誌の誌上句会でご一緒する機会があり、そのときの出席メンバーで構成された句会「雛の会」で句座をともにすることとなり、その会が10周年を迎えた。
 その10年間の句会を通して、あるいは俳句以外のプライベートなおつきあいを通して思うことは、仙田さんは(ご自分でも文章で書いているように)、徹底したエピキュリアンであるということだ。けっして現実から逃げることなく、「今、この時」を楽しむ。そのための努力は惜しまない。いや、努力を必要としないほど、天賦の才に恵まれているといったほうが正しいのかもしれない。
 ところで私自身、仙田さんの俳句は、大きく分けて3つの時期に分けられるように思っている。つまり、俳句や短歌に熱中し、石原八束先生選の受験雑誌に投稿していた高校時代、それに続く大学時代、海外を駈けめぐっていた独身時代が第1期。結婚・退職、1年間のアメリカ生活とその後が第2期。そして、はじめての子供の誕生、そのご子息を詠まれた作品群が第3期である。
 本書『雲の王冠』は、その第1期の後半から、第2期を収録している。本書の目次にのっとって言えば、「間欠泉」「虹の音階」「真白き音符」「イブ」の前半までが第1期。「イブ」後半から「詩の影」「翼代はりに」「雲は王冠」までが第2期の作品と考えるのである。

  寒ざくら涙の粒の揃ひけり

  雪うさぎ恋生れし日のよみがへる

  歓びの風鯵刺を欲しいまま

  ルカ伝を読む山小屋の雪解かな

  渡り鳥われに小さき机あり

  くしやみして星のひとつを連れかへる

  柚子匂ふ顔につめたき夜空かな

  火の鳥と思ふ白鳥に夕焼寒

 また、これは全編を通して言えることだが、仙田さんの作品には、いくつかのキー・ワードがある。
 その一つに蝶。蝶のイメージは全編を通して現れては消える。

  夏蝶は砂漠の影に入らず舞ふ

  雪渓に蝶くちづけてゐたりけり

  蝶炎えて赤き砂漠に落ちにけり

  ふかぶかと蝶吸はれゆく空の藍

  白き蝶渚の光つたひくる

  の譜のちりぢりに秋の蝶

 第2期は、結婚それにつづくアメリカ滞在。海外での作品がその中心を占める。『雲は王冠』のなかでももっとも密度の濃い時間と作品群である。

  銀漢に抱かるるごとし婚約す

  雪煙る森にしづかに手をつなぐ

  空青くなりてふたりの樹氷林

  セコイアの森祝福の春の雪

  灼かれゐる大絶壁に巨眼空く

  天炎ゆる神のくぐりし岩の門

  灼けしづむ天に涙のとどかざり

 ソニー勤務時代に数多くの海外出張をこなした仙田さんにとって、

  黒人の唇に音楽雲の峰

など、海外詠はこれまでも多かったが、実際にその地に暮らすことによって、句はさらなる深まりを増す。そのことについては、「俳句あるふぁ」のなかで、先の<黒人の唇に音楽雲の峰>の句を例に挙げ、仙田さん自身がつぎのように述べている。

 「…だが、アメリカ人とつきあい、大学に通い、会社での話を聞き、マスコミの報道を吸収し、知らず知らずのうちに多人種多文化社会アメリカの抱える複雑な悩みを吸い込みながら過ごした私は、もうこのような句は詠めない。アメリカという大景は、自然だけのことではない。いや、歴史や文化がからめばそれだけ大景は複雑に、感性や浅薄な理解だけではとらえきれないものとなっていく。海外俳句の落とし穴に私もはまっていたのだと振り返って思う。…」

 また、独身時代の開放的な恋の句が、夫恋の深い思いへと変わっていくのも、この時期の作品の見逃せない点だろう。

  大き手の霜焼の指愛しめり

  夫行つてしまひぬ冬の月尖る

  夏星のやう夫恋の火を胸に

  夫焚いてくれし柚子湯を惜しみなく

  暖炉焚く夫と降誕祭の朝

  夫おもひゐるあかるさや花曇

 仙田さんの俳句の印象を色で表せば、赤あるいはオレンヂ。または蒼。パステル調の淡い色合いではなく、透明度のある強い色である。コスモスよりも深紅の薔薇。月よりも太陽…。

  ヴィーナスの唇よりも濃き罌粟の色

  雲海に胸の火投じたきことも

  炎天に乾びきつたる怒りあり

  あかあかと唇塗る梅に負けぬやう

  秋蝶やサフラン色の便り書く

 また、さきに仙田さんのキー・ワードとして「蝶」をあげたが、その他にも仙田さんの句を読み解くキー・ワードの一つが「踊る」イメージである。

  遥かまでステップ黄落期

  霜の花タンゴを踏んで踊らうか

  踏み鳴らす虹の音階誕生日

  影曳いてに蝶と踊りけり

 ラテン系のリズムが鳴り響いてくる。

 また、海外詠については先に触れたが、ソニー勤務の時代の海外での作品群も、外すことのできない重要なテーマの一つである。

  戦火ボスニアいつそ海市の都なれ

  銀河烟りアウシュビッツは眠りをり

  初夢をわすれ戦火をわすれざる

  銃殺の壁に捨てあるダリアかな

 仙田さんは絵画への造詣も深く、絵画にまつわる句も多い。

  蒼穹に虹熟睡のダリの髭

  光の蝶スーラの道をよぎりたる

  ゴッホの渦かさねて炎ゆる黄葉かな

  ブリューゲルの雪景色あり喪服着る

  オキーフの広野に降りし夜露かな

 さらに仙田さんの句を読んでいると、「神」という言葉も集中から印象的に響いてくる。

  神々の息のきらめく瀑布かな

  天炎ゆる神のくぐりし岩の門

  神眠る蒼き氷河に雲の峰

  白夜なる氷河に神の爪の跡

 そして、これはタイトルともなった、

  雲は王冠詩をたづねゆく夏の空

が代表となるが、全編を通して、「詩」という言葉が現れるもの象徴的である。

  詩神棲む枯野けぶりてゐたりけり

  わが詩の届かぬ銀河振り仰ぐ

  間欠泉のごときわが詩粉雪降る

  悲しみを詩に枯野をまつすぐに

  逃水や明日には明日の詩がある

 蝶、詩、神、踊る、光、影…これらの言葉を繋ぎあわせると、仙田さんの句の輪郭がくっきりと浮かび上がってくるのである。

  しやぼん吹く百年たてば死ぬる子と

  百年は生きよみどりご春の月

 さて、本書『雲の王冠』には、すでに総合誌等で発表されている「吾子俳句」は収録されていない。このテーマは、次なる句集の重要なテーマとなることは間違いない。仙田洋子作品に新たに「子」というテーマが加わり、さらにどんな深まりと変化を見せてゆくのか、友人のひとりとして、一人の読者として、次なる句集を心から楽しみにしている。
 最後に触れることのできなかった感銘句を掲げて本稿を終えたい。

  水澄めりほろびぬ恋を胸に抱く

  母眠るさくらの光吸ひながら

  かなしみも冬の紅葉もあつめ焚く

  白鳥になりたきひとと悴めり

  冬銀河かくもしづかに子の宿る 

   (俳誌「秋」掲載)

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