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定住漂泊としての都市―都会を詠むポイント

 私たちが「都会の俳句を詠む」ことを考えるとき、まず念頭におかなければならないのは、私たちが「いま・どこに」立っているかという、その存在位置を明確に意識することである。つまり、都会的なるもののイメージや句材を俳句にとりこむのみならず、いま、自分が都会という空間の、どんな位置に立って作句しているのかという、「時間」と「空間」の交差する「いま」を座標軸としてつくることが肝要なのではないだろうか。
 とはいっても、私たちの置かれている現在のどこが都市的であり、また私たちの社会のなかのどこからが「都市」でないのかといったことをうまく捉えることは難しい。しかしながら、「いま」に生きる俳句作家が、はてしなく変容していく都会をどのように詠んでいるか、そしてそこに、いかに自分の「生」を重ねあわせているかを検証していきたいと思う。
 まずは若い実作家の、都会の象徴・摩天楼を詠った作品から。

  レモン一滴天に針刺す摩天楼 山田径子

  摩天楼驟雨に蛇のスープ飲む 仙田洋子

 「摩天楼(スカイクレーパー)」とは「天にとどく建物」の意味。1884年にシカゴの建築家・ウイリアム・ル・バロン・ジェニーによって、最初の原型がつくられた。摩天楼はアメリカ資本主義の象徴であり、会社を所有する資本家の地位・権力・富のシンボルであり、広告塔だった。
 現在摩天楼といえば、東京では西新宿の超高層ビル群を連想するが、その高層ビル群を縫うようにして縦横に走る高速道路がある。

  東京の腸に月高速路 今井 聖

 複雑に入り混む首都高速を走っていると、高速道路が肥大化し、長く長く不定形な生き物の腸(はらわた)のように思えてくる瞬間がある。不気味な、巨大な生きる怪物(モンスター)・東京――作者の乾いた眼差しは、時空を超えた、はるかなものを見つめているかのようだ。

  電脳都市きらりきらりと冬の塵 木村佳津江

 現代は、あらゆるものが情報化され、それらが複雑に絡みあって、ひとつの巨大な画像を形成している、掲句は、未来へとつづく現代のありようを「電脳都市」と大?みにとらえ、都市そのものを地球という大きな生命体に浮遊する混沌(カオス)として詠んでいる。
 もう一句、「都市」というキー・ワードを使った句をご紹介したい。

  パラソルや非核宣言都市の宙 石 寒太

 夏。広島に原爆が投下された日を象徴するような、青くどこまでも深い宙。その鮮やかな宙にはっきりとしたコントラストで浮かぶ白いパラソル。戦争・核実験・飢餓・貧困・環境破壊――地球に起こっているさまざまな悲劇の対極の象徴にあるかのような、白い、無垢のパラソル。「きのこ雲」の形を連想させるパラソルは、やがて爆音とともに吹っ飛び無残な姿になってしまう――そんな危うさを感じさせる句である。
 さて、「いま」を生きる私たちに、もっと身近に「都会」を感じさせる句はたくさんある。

  冬の夜モーゼのごとき救急車 北大路 翼

 冬の夜、けたたましくサイレンは鳴る。渋滞する道路。すべての車は左へ寄って、川幅が広がっていくように道をあける。このような日常的な実景を「モーゼのごとき」ととらえた優れたレトリックは、作者のもつ洗練された感覚ゆえである。
 都市に生活する筆者の句を挙げてみる。

  長き長きエスカレーター百合抱いて  聡子

  ニューヨークタイムズ甜瓜つつむ

  夕立後の衛星都市や傘たたむ

      *     *

 「都会を詠む」素材はどこにでも存在する。だから、都会を詠むといって、ことさら大上段に構えたり、肩肘張ったりする必要はないと思う。どこに住んでどのような生き方をしようとも、古い情緒に凭れることなく、「いま」生きている現在を詠っていければと思う。
 最後に、都会を詠んた句のなかでもっとも強烈に残っている句――。

  倒・裂・破・崩・礫の街寒雀   友岡子郷

 先の阪神大震災を詠んだ句。天へ向かって高く高く構築される摩天楼と同じ空間に、一瞬にして壊れ、炎上する都会の姿がある。

   (「俳句研究」1997年6月号)

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